もうメロメロすぎて、お年玉を5回くらいあげているのだけれど、まったく後悔がない。そして常にだっこを要求してくるため、腕の筋肉が無駄に発達しそうで困惑している(まもなく5歳)。姪2が産まれてからは、4歳児にも思うところがあるのか、親の愛情は平等ではないと考えているらしい。足りない愛情をもとめているので応えていたら、呼び名からついにちゃん付けすらなくなった。愛とはなんなのか?と永遠のテーマを語り合ったり、かき氷をつくったり、竹で水鉄砲をつくったりしていると、しあわせとはこういうものなのかなーとほほ笑んでみたりしちゃうくらいメロメロなのに「まだ足りない!もっと」と叱られる。もう何度目か忘れたけど「よし!けっこんしようか」と聞いてみたら「はー?なにいってるの?おばかさんなの?けっこんしませんよー」と言われる。それなのにお花を摘みに出かけるときでさえついてくる姪を見ていると、ツンデレに萌える人の気持ちがわかるのである。最近の悩みは教員免許をなぜ取得しなかったのかだ。地元のコネをフル活用すれば、小学校の先生になって見守れたのに!将来設計は大事だなーと思う。大学に通いたいから仕事をやめようかなと本気で考え始めたのは言うまでもないくらいメロメロ。メロメロって言いたいだけ(*'ω'*)
ネバネバダ!
半熟玉子を1日漬け置きするだけで、ごはんが豪華な気分(・∀・)
グリークタウンに行きたいわん
ずっとギロピタのことばかり考えていると頭がパーンとなってきました。
その昔、青臭い正義感と凝り固まった封建主義的な考えで、
ニートになってしまった親友と接していたことがある。
無理やり外に連れ出して、気の置けない仲間たちと青春を謳歌していたのだ。
そんないびつであたたかく甘露な日々が長く続くはずもなく、お互いの主張はぶつかり合う火花の如く、雲散霧消して消え去った。
あるとき、親友に尋ねた。
「こういうのは迷惑なのかな?そっとしておいたほうが良い?」と。
親友は答えた。
「一緒に出掛けるのは楽しいし、仲間もみんな大好きだけど、それより大事なものがあるの」
当時は何のことかわかりたくなかったし、今でもよくわからない。そういうものなのだ。守るべきものはそれぞれにあり、そのどれもが必要不可欠なものなのだけど、それをどう思うかもそれぞれ違うということに気づくのはものすごく時間がかかった。何が好きで、何が嫌いで、何をどう思うというのは個人で違う。同じ目線にたって分かち合う掛け替えのない時間を共有しても、踏み込んではいけない場所がある。人は結局、どこまでいっても他人であり、同じ方向に迷いなく進めるのは若さという一番大切な宝物なのだ。
そんなことを、姪とアンパンマンで一番好きなキャラを言い合っているときに考えたのでした。絶対にメロンパンナちゃんより、ドキンちゃんのほうがかわいい!めっちゃ喧嘩した(/ω\)